新潟の元軍医が戦時中に特攻兵にヒロポン注射を続けた後悔と戦争の悲惨さを回顧。歴史から平和の大切さを考えるきっかけに。
特攻兵に「ヒロポン」注射 新潟の元軍医、晩年も後悔 …。特攻隊員は、ヒロポン(覚醒剤)を打って基地を飛び立った。新潟市の元海軍軍医蒲原宏さん=3月に101歳で死去=は、覚醒剤と知らずに約200人に注射し続… (出典:) |
この記事は、特攻兵士に対するヒロポンの注射という衝撃的なテーマを扱っています。元軍医の後悔の念が伝わってきて、戦争の悲惨さや人間の無情さを改めて考えさせられました。このような歴史の一部を知ることで、より多くの人々が平和の大切さを再認識するきっかけになればと思います。
1 煮卵 ★ :2025/06/21(土) 13:10:11.78 ID:1mequgOA9
太平洋戦争末期、日本軍は爆弾を積んだ戦闘機で敵の艦船に突撃を試み、多くの若者が犠牲になった。特攻隊員は、ヒロポン(覚醒剤)を打って基地を飛び立った。新潟市の元海軍軍医蒲原宏さん=3月に101歳で死去=は、覚醒剤と知らずに約200人に注射し続けた。生前の取材に「とんでもないことをした」と語り、晩年まで後悔の念は消えなかった。
1941年、新潟医科大(現新潟大医学部)に入学。講義打ち切り後、軍医学校で学び、45年2月、鹿児島県の海軍航空隊串良基地に配属された。
同年3月の沖縄戦開始後、戦況が悪化する中、上官に「目が覚める薬」と言われ、特攻隊員への注射を指示された。長さ約3センチの茶色いアンプルに入った透明の液体が何か分からなかったが、指示通り敗戦まで打ち続けた。
特攻直前の隊員は、無口で目がぎょろぎょろしていた。死を覚悟し、諦めたようだった。「軍医さんはいいですね。死ななくていいんだもん」と言われたこともあった。前線に出ない蒲原さんは、返す言葉がなかった。
[共同通信]
2025/6/21(土) 6:47
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed1b0371790392bf4cc97d2e16a75a29fa97b983
※前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1750464933/
1941年、新潟医科大(現新潟大医学部)に入学。講義打ち切り後、軍医学校で学び、45年2月、鹿児島県の海軍航空隊串良基地に配属された。
同年3月の沖縄戦開始後、戦況が悪化する中、上官に「目が覚める薬」と言われ、特攻隊員への注射を指示された。長さ約3センチの茶色いアンプルに入った透明の液体が何か分からなかったが、指示通り敗戦まで打ち続けた。
特攻直前の隊員は、無口で目がぎょろぎょろしていた。死を覚悟し、諦めたようだった。「軍医さんはいいですね。死ななくていいんだもん」と言われたこともあった。前線に出ない蒲原さんは、返す言葉がなかった。
[共同通信]
2025/6/21(土) 6:47
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed1b0371790392bf4cc97d2e16a75a29fa97b983
※前スレ
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